なぜ初めはよく合うように見えるのか
調停者は、自分をよく理解してくれる相手に心を開きます。人と人のあいだを見守る自分の特性に気づいてくれる人だと感じるからです。
策士は反対に、調停者をこのうえなく楽な相手と見ます。調停者は衝突を嫌い、誰にでも合わせるので、策士の考えに反対せず、柔らかく従ってくれる人だからです。
策士は人を表に出ない形で動かして望むものを手に入れ、調停者は本心から人と人をつなぎ、平和を守ります。策士は計算して動く人で、調停者は本心からなだめる人です。
表向きは二人とも人に柔らかく接するように見えますが、策士は優しさを道具として使い、調停者は本心から優しいのです。以下では、この関係がどんな点で危ういのか、そして調停者がどうすれば自分を守れるのかを率直に書きました。
調停者は、自分をよく理解してくれる相手に心を開きます。人と人のあいだを見守る自分の特性に気づいてくれる人だと感じるからです。
策士は反対に、調停者をこのうえなく楽な相手と見ます。調停者は衝突を嫌い、誰にでも合わせるので、策士の考えに反対せず、柔らかく従ってくれる人だからです。
いちばん大きな危険は、策士が調停者の本心を利用することです。調停者が平和を守ろうとして譲るたびに、策士はその譲歩を、自分の考えを通す手段として使います。
衝突を避けようとする気持ちも、調停者の弱みになります。調停者は言い争いたくなくて問題を口にせず、策士は調停者が衝突を避けることを知っているので、もっと要求します。調停者は、よい気持ちのせいで、かえって弱い立場に置かれます。
調停者がもっと合わせ、もっと我慢するほど、策士はもっと多くを持っていきます。調停者は平和を守ろうとして、かえって自分の権利を手放すことを繰り返します。
こうしたことが長く続くと、調停者は何が自分の考えで、何が相手に合わせて決めた考えなのか、分からなくなりはじめます。本心から近づいた調停者が、肝心の自分を見失うという逆説が起きます。
逆説的ですが、この関係は、調停者が本心と計算を見分け、はっきりした境界を決める方法を学ぶ、切実なきっかけになります。そう見分けられるようになれば、調停者の柔らかさはもう弱みではなく、知恵になります。
策士も、本心からそばにいる調停者を見ながら、人を道具ではなく人として扱う方法を学べます。ただし、策士本人が自分の姿を正直に自覚しなければ、そう変わるのは難しいものです。
片方だけが譲る関係が続きやすくなります。譲ったあとにどうなったかをときどき振り返り、自分の考えを見失っていくと感じたら、関係の外の助けを得られるようにしておくのが安全です。
罪悪感を利用することを、愛情だと言い換えないよう注意が必要です。子どもが自分の考えをはっきり持てるよう、守ってあげる必要があります。
柔らかく圧力をかけることが繰り返されるなら、一人で我慢するより記録を残し、正式な手続きを探すほうがよいでしょう。
いつも一人の考えどおりに決まる集まりなら、誰かが場の空気を気まずくする一言を言ったとき、かえって集まりが健全なバランスを取り戻します。