RECURRING LOOP · 感情・内面
強すぎる罪悪感
物事がうまくいかないと、原因の一覧のいちばん上にいつも自分がいませんか? 責任を背負いすぎるのは誠実さではなく、責任の範囲を実際より広く自分に割り当てている状態です。
強すぎる罪悪感はなぜ繰り返されるのか
プロジェクトがうまくいかないと、頭の中で原因を探し始めるのですが、探す順番がいつも同じです。自分は何を見落としたのか。チームの問題、仕組みの問題、ただの運の問題である可能性は一覧の下のほうにあり、日によっては一覧にまったくありません。周りが「あなたのせいじゃない」と言っても無駄です。心の中では、もう自分の責任だと思っているからです。
責任を背負いすぎる形は三つあります。一つ目は、原因を自分から探す人です。自分がコントロールできたことを探しているうちに、コントロールできなかったことまで自分のこととして考えます。二つ目は、償わないと休めない人です。悪いことをしたという気持ちになると、埋め合わせの行動(もっと働く、もっと良くしてあげる)をしてようやく安心できる人で、償うことで罪悪感を減らすタイプです。三つ目は、ほかの人のつらさを自分のことのように感じる人です。周りの人がつらそうにしているとすぐに自分が解決すべき問題だと思い、慰めに行って、責任まで背負って帰ってきます。
責任を背負いすぎることの問題は、外から見ると美徳に見えることです。責任感がある、大人だと言われると、この癖を直す理由が見つからないからです。けれど、ほかの人の仕事まで背負い込むと、結局二人が損をします。背負い込んだ人が先に疲れきり、自分の仕事を学ぶ機会を奪われた人があとで困ることになります。この文書で、自分がどこで責任を実際より大きく考えているのかを、まず確かめてください。
強すぎる罪悪感にも種類があるのか
| タイプ | ひと言の場面 |
|---|
| 自分の責任を大きく見る | “原因をまず自分に探す” |
| 償おうとする | “償わないと休めない人” |
| 人のつらさを自分のせいに感じる | “ほかの人のつらさを自分のことのように感じる” |
TYPE 1 · 自分の責任を大きく見る
強すぎる罪悪感 1つ目のタイプ · 「原因をまず自分に探す」
このタイプの強すぎる罪悪感はなぜ生まれるのか
一緒に進めていたことがうまくいかなくなると、この人はすぐに「自分はどこで見落としたのか」を考えます。原因をほかに探す前に自分から確かめる習慣が強いのです。ほかの人なら何人かの責任に分けて考えることも、この人は「自分がもっと気を配っていれば防げたこと」と考えます。そもそも自分にはどうにもできなかった部分まで原因に数えて、自分の責任を実際より大きく考えます。同じように負担を感じていても、償わないと休めない人や、ほかの人のつらさを自分のことのように感じて苦しむ人とは、始まりが違います。この人が負担を感じるのは「償うべきことがあるから」でも「誰かがつらいから」でもなく、原因を考える最初の段階から、自分の責任を大きく見すぎているからです。時間がたつほど、この人はより早く、自然にそう判断するようになり、状況をじっくり確かめる前に結論を出してしまいます。そうして誰も負わない責任まで一人で背負い込んでいるうちに、肝心の自分をいたわる力が残らなくなり、だんだん疲れていきます。
どんな場面で現れるのか
会議が終わってチームの成果が思わしくないと、自分の担当ではなかった部分まで「自分が途中でもう一度確かめていれば」と思います。うまくいかなかった項目を、どれも自分のせいだと考えるのです。隣の席の同僚の見落としが明らかになっても、その人を責めるより「自分が前もって気を配っておくべきだった」と考えます。そして、ほかの人が担当していた仕事を黙って自分の仕事にするのです。誰に頼まれたわけでもないのに、次からはその人の仕事まで前もって見ておこうとします。そのせいで肝心の自分の仕事が後回しになっても、それもまた自分の管理が足りなかったせいだと考えます。飲み会のような気楽な場でも、チームの雰囲気が暗くなると、まずそれが自分の気配りが足りなかったせいのような気がして、落ち着きません。
いつ強まり、いつ収まるのか
一緒にしたことで悪い結果がはっきり見え、原因がいくつもあって誰の責任か分けにくいときに、真っ先に自分のせいかどうかを考えます。とくに自分が少しでも関わったことなら、関わりの度合いに関係なく、自分をいちばんの原因に数えます。逆に、原因がはっきりほかの人だけにあって、自分が関わる余地が最初からなかったことでは、めずらしく自分を責めません。
よくある誤解は何か
周りの人はこの人を、出しゃばって何でも抱え込む人、あるいは謙虚さが身についた人だと見ます。けれど本人は出しゃばっているのではなく、原因を考えた瞬間にもう自分の責任を大きく見てしまっているので、引き下がれないのです。謙虚に見える態度も、自分を低くしようとする気持ちからではなく、結果の責任を分ける最初の計算がいつも自分の側に偏っていることから来ています。
何から変えればいいのか
うまくいかなかったことについて、原因を「自分 / 相手 / どうにもできなかった状況」の三つに、無理にでも分けて書いてみる練習が、この人には効きます。いつも自然に自分の責任とばかり考えていたものを目に見える形で三つに分けてみると、実際には自分のせいは思っていたより小さいと分かるからです。この方法が「自分の責任を大きく見る」タイプに効くのは、この人が原因を考えるとき、最初から自分の側に偏って判断して負担を感じているからです。その判断を正せば、すぐに負担が軽くなります。逆に、償わないと休めない人に同じ練習を勧めても効きません。その人は自分の責任が小さいことを知らないから負担を感じているのではなく、償ってようやく安心できる人です。自分のせいは小さいといくら伝えても償いたい気持ちは変わらず、かえってこの方法では物足りなく感じます。
この説明が合わない場合とは
原因が自分の責任ではないともう分かっているのに、「それでも何か償わないと落ち着かない」と謝罪や埋め合わせを繰り返す人がいます。それなら「自分の責任を大きく見る」タイプではありません。自分の責任がどこまでかを分かっていながら、償うのをやめられないほうなら、「償おうとする」タイプを先に見るほうが合っています。
根拠: 過剰な責任感の研究 (自分のせいではないことまで責任を大きく感じ、自分を責める考え方を扱った心理学の研究)
TYPE 2 · 償おうとする
強すぎる罪悪感 2つ目のタイプ · 「償わないと休めない人」
このタイプの強すぎる罪悪感はなぜ生まれるのか
この人は、何か過ちがあるとそれを償うべきことと考え、実際に償うまでは休めません。自分で決めた善し悪しの基準が厳しく、乱れのない自分でありたいという気持ちが強いので、過ちをただの失敗ではなく、自分の欠点のように感じます。それを埋め合わせようとして、必要以上に謝り、必要以上に尽くし、ときには自分を罰するように楽しいことを後回しにします。問題は、償い終えたと認める基準が「過ちが一つも残らないこと」なので、どれだけ償っても、もう十分だと感じられる瞬間が来ないことです。原因を自分に探す人や、ほかの人のつらさを自分のことのように感じて苦しむ人と違い、この人にとっていちばん大事なのは「償うこと」そのものです。原因が誰にあっても、そばの人がつらくてもそうでなくても、いったん償うべきことだと考えると、償わなければ終わりません。時間がたつほど、償ってもすっきりしないと感じることが増え、次はもっと大きく償おうとして、償う量ばかりが増えていきます。
どんな場面で現れるのか
約束の時間に一度遅れると、相手が「大丈夫」と笑って流してくれても、その言葉では終わった気がしません。次に会うときにわざわざ食事をおごったり小さなプレゼントを持っていったりして、遅れた分を償おうとします。相手はもう忘れているのに、一人で長々と謝る言葉を付け加えます。久しぶりに楽しい集まりに誘われても、まだ償えていない何かが気になってその時間を心から楽しめず、「これを楽しんでもいいのかな」と自分から遠慮します。楽しみを後回しにすることで、まだ償っていない分を代わりに償っているわけです。そうして償うべきことを全部償い終えるまでは、どんな時間も心から楽しめません。
いつ強まり、いつ収まるのか
自分の基準に自分が届かなかったと判定し、まだ償えていないことが残っていると感じるときに、いちばん長く借りがあるような気分で過ごします。とくに相手が寛大に流してくれるほど、かえって償う方法がなくなって、さらに落ち着かなくなります。逆に、一度のはっきりした謝罪や行動で「これで償った」と区切りをつければ、ようやく終わったと感じて安心します。
よくある誤解は何か
人はこの人を、とりわけ礼儀正しく、よく尽くす人として好意的に見ます。けれど、その謝罪や尽くし方は、相手のためというより、自分の心の欠点を消そうとする行動に近いのです。謝りすぎて、相手をかえって居心地悪くさせることもあります。本人は相手を楽にしようとしているのではなく、自分の罪悪感を減らそうと努めているので、その居心地の悪さになかなか気づきません。
何から変えればいいのか
一つの件についての償いを「はっきりした謝罪一回」または「決めておいた行動一回」と決めておき、それ以上は自分で禁止する方法が、この人には効きます。際限なく償おうとしていたことに上限を決めて、無理にでも終わらせるからです。この方法が「償おうとする」タイプに効くのは、この人が「償っても終わらない感じ」のせいで負担を感じているからです。終わる条件を自分の感覚ではなく規則で決めておけば、際限なく償おうとすることをやめられます。逆に、原因を自分に探す人に同じ上限を決めてあげても役に立ちません。その人は償うことが問題なのではなく、原因を考えるときにいつも自分の側に偏って判断することが問題です。一つの件についての償いを止めても、次の件でまた自分のせいだと考えて、償うべきことを新しく作ります。
この説明が合わない場合とは
償うべきことがあるからではなく、そもそも原因を考える最初から自分の責任を大きく見て負担を感じる人もいます。償うという行動なしに、ただ「自分のせいだ」という計算だけで苦しんでいるなら、見るべきなのは「償おうとする」タイプではなく「自分の責任を大きく見る」タイプです。
根拠: 罪悪感を回復させる行動の研究 (申し訳ない気持ちを減らそうと、何度も埋め合わせようと努める行動を扱った研究)
TYPE 3 · 人のつらさを自分のせいに感じる
強すぎる罪悪感 3つ目のタイプ · 「ほかの人のつらさを自分のことのように感じる」
このタイプの強すぎる罪悪感はなぜ生まれるのか
この人は、自分が何かを間違えたからではなく、そばにいる人がつらそうにしているという事実から、負担を感じ始めます。ほかの人の気持ちを深く感じ、自分と相手をうまく分けられないのです。相手がつらそうだったり疲れていたりする姿を見ると、そのつらさをすぐに自分のことのように感じて、「自分が何かしてあげるべきだった」と申し訳なく思います。実際にそのことに自分が関わっていたかどうか、自分に何かできたかどうかとは関係ありません。ただ誰かがつらいというだけで、責任を感じるのです。原因を自分に探す人や、償わないと休めない人と違い、この人が感じる負担は、ほかの人の気持ちの状態によって変わります。相手が明るくなれば負担が軽くなり、相手が沈めばまた大きく感じるので、ほかの人の気分によって、自分が感じる負担の大きさが決まります。時間がたつほど、ほかの人のつらさをますます簡単に自分のことのように感じるようになります。誰かがつらそうな気配を見せただけで、事情をよく知る前に、まず自分の気持ちが落ち着かなくなるのです。
どんな場面で現れるのか
家の中で家族同士の声が大きくなると、自分はそのけんかの当事者ではないのに、二人の息苦しさをそのまま自分のことのように感じます。「自分が間に入って何とかするべきだった」と、夜遅くまで思い悩むのです。けんかしていた二人はもう仲直りして眠っているのに、一人でその場面を思い返します。久しぶりにうれしいことがあって喜んでいても、最近つらそうにしている友人の顔が浮かぶと、その瞬間に笑顔を引っ込めます。「自分だけ喜んでいていいのかな」と、そっと喜ぶのをやめてしまうのです。そばの人が沈んでいると自分の気分も一緒に沈み、そばにつらい人がいると、良い知らせさえ言えずに一人で胸にしまっておきます。
いつ強まり、いつ収まるのか
身近な人が目の前でつらそうにしたり苦しんだりしている姿を見るとき、そしてその人と親しい間柄であるほど、その気持ちをいちばん強く自分のことのように感じます。相手の表情が暗いほど、自分も一緒に落ち着かなくなります。逆に、相手が自分で立ち直って明るくなったときは、自分のことのように感じる気持ちがないので、いつもどおり過ごします。つらい思いをしている人が、自分の目に入らないところにいるときも同じです。
よくある誤解は何か
周りの人はこの人を、心が優しくて情の深い人、ほかの人のことにとりわけ振り回されやすい人だと見ます。けれどこの人は、ただほかの人に振り回されやすいのではなく、ほかの人のつらさと自分の気持ちを分けられないので、そのつらさを自分のことのように感じてしまうのです。気が弱く見えるのも、実はほかの人のつらさを自分のつらさと区別できないからです。
何から変えればいいのか
気持ちが落ち着かなくなったときは、少し考えて分けてみる練習がこの人には効きます。「これは自分の行動が原因で起きた結果なのか、それともほかの人の気持ちを自分のことのように感じているのか」と分けるのです。ほかの人の気持ちなら、もともと相手のものなので、心の中で相手のものだと分け直しておきます。この方法が「人のつらさを自分のせいに感じる」タイプに効くのは、この人がほかの人と自分を分けられないせいで負担を感じているからです。分け直せば、ほかの人の気持ちを自分のことのように感じなくなります。逆に、償わないと休めない人に同じ練習を勧めても合いません。その人はほかの人の気持ちを自分のことのように感じて負担を覚えているのではありません。自分の欠点を償って消そうとして負担を覚えているので、分けてみるべきほかの人の気持ちそのものがないのです。
この説明が合わない場合とは
ほかの人がつらいからではなく、自分の決めた高い基準に自分が届かなかったという感覚だけで負担を感じ、それを償ってようやく気持ちが晴れる人もいます。そばにつらい思いをしている人がいないのに、一人で何かを償おうとしている人もいます。その人が見るべきなのは「人のつらさを自分のせいに感じる」タイプではなく「償おうとする」タイプです。
根拠: 過度の結びつきの研究 (ほかの人の世話を焼きすぎ、申し訳なく思って、自分を後回しにする特性を扱った研究)
強すぎる罪悪感についてよくある質問
Q. 責任感が強いことと、責任を背負いすぎることはどう違うのですか?
二つを分ける基準は、自分にコントロールできたかどうかです。責任感とは、自分がコントロールできたことに責任を持つことです。責任の背負いすぎとは、コントロールできなかったこと(ほかの人の気分、チームの運、市場の状況)まで自分の責任と考えることです。実際に使える見分け方があります。あのときに戻れたら、実際に違うやり方ができたか? 具体的な別の方法が浮かばないのに罪悪感だけがあるなら、それは責任ではなく、責任を背負いすぎているのです。
Q. いつも謝ってばかりいます。問題でしょうか?
「すみませんが」で話し始めるのが癖になっているなら、責任を背負いすぎているサインです。先によく謝っていると衝突が減るように思えますが、実際には二つの損をします。本当に謝るときの言葉が軽く聞こえ、相手は「これはこの人の責任だ」と思うようになります。練習を一つ勧めます。謝る代わりに感謝してみてください。「遅れてすみません」ではなく「待っていてくださってありがとうございます」と言います。同じ状況でも、責任の考え方が変わります。
Q. ほかの人がつらそうにしていると、見過ごせません。良いことではないのですか?
共感ははっきりとした長所です。問題は、共感して気持ちに寄り添うだけで終わらずに、責任まで背負い込む場合です。相手の問題を自分が解決すべきことだと考えた瞬間、自分は疲れきり、相手は自分の問題に自分で向き合う機会を失います。良い共感とは「そばにいること」までで、そこから先の問題の解決は、相手のこととして残しておくことです。そばにいることと、代わりに責任を負うことは違います。
Q. 本当に自分が悪かったときは、どう償えばいいのですか?
本当の過ちには、代価を払うより直すほうが合っています。相手に必要なのは自分の罪悪感の大きさではなく、具体的な後始末と再発の防止だからです。謝罪を一度、後始末の行動、同じ失敗を防ぐ方法を一つ、ここまでが償いです。そのあとも続く埋め合わせ(いつまでも良くしてあげる、自分で自分を罰する)は、相手のためではなく、自分の罪悪感をなだめる行動です。それが、関係を貸し借りのある間柄にしてしまいます。
この説明をどう受け取ればよいか
この文書は自己理解を助けるための行動パターンの説明であり、医療・心理の診断や相談に代わるものではありません。日常生活が揺らぐほどの困難が続く場合は、専門家の助けを受けることをお勧めします。
このページのタイプ説明は一般的な構造です。
測定を終えると、自分の気質の組み合わせで実際に表れたパターンと強度、自分に合う一歩が、個人向けの文書として提供されます。
この反復がよく見られる原型
測定で見る軸が重なる項目です。人が選んだのではなく、測定ルールから計算しています。