RECURRING LOOP · 感情・内面
自己批判
ほかの人には絶対に言わないことを、自分には毎日言っていませんか? 自分を責め続けるのは性格が悪いからではありません。心の中で自分を採点する仕方が、人によって違うだけです。
自己批判はなぜ繰り返されるのか
友人が失敗したら「そういうこともあるよ」と言ってあげます。ところが同じ失敗を自分がすると、「こんなこともできないのか」が自然に浮かびます。おかしな話です。世界でいちばん長く、いちばん近くにいるのは自分なのに、その自分が自分をいちばんひどく扱っているのです。自分はなぜこんなふうに自分を責めるようになり、なぜやめられないのでしょう。
人が自分を責める仕方は、大きく三つに分かれます。一つ目は、何をやり遂げても基準を一緒に上げるので、ほめられてもよくやったと認められない人です。昨日できたことを、今日の最低基準にします。二つ目は、仕事の結果と自分の価値を一つのものと考える人です。報告書が差し戻されると、報告書ではなく自分が差し戻されたように感じます。三つ目は、心の中で善し悪しを厳しく見分ける人です。間違ったことだけでなく、間違いそうになった気持ちまで問い詰めます。
三人に共通するのは、自分を罰するためではなく、守るために責めているという逆説です。先に自分を責めておけばほかの人に指摘されることはなく、自分にもっと厳しくしていれば安全だと信じているのです。そのため「自分に優しくして」という助言がなかなか効きません。この人にとっては、自分を守ってきた方法をやめろという要求だからです。この文書で、自分が自分を採点する仕方をまず見つけ、それぞれの仕方に合ういちばん簡単な方法を確かめてください。自分を責めることと無気力が一緒に何週間以上も続いているなら、専門家の助けを受けるべきです。
自己批判にも種類があるのか
| タイプ | ひと言の場面 |
|---|
| 高い基準で自分を追い詰める | “上がっていく基準” |
| 結果で自分の価値を決める | “自分の価値を信じる根拠がない” |
| 正しかったかを問い続ける | “心の中の厳しい判定” |
TYPE 1 · 高い基準で自分を追い詰める
自己批判 1つ目のタイプ · 「上がっていく基準」
このタイプの自己批判はなぜ生まれるのか
この人には越えなければならない基準が一つあり、その基準はほかの人の基準よりずっと高いのです。問題は、結果がその基準に届かなかったときです。ふつうは「今回の成果物が足りなかった」で終わるのに、この人は基準に届かなかったことをすぐに「自分が足りない人間だ」と受け取ります。成果物一つの点数を、人間全体の点数に置き換えるのです。自己肯定感が安定していないので、一度基準に届かないだけで、その日の成果ではなく自分全体を評価し直します。さらに皮肉なのは、うまくいったときです。やっと基準を越えると、その瞬間に基準も一緒に上げます。そのため次はまた基準に届かず、どれだけ成果を重ねても「やり遂げた」という感覚が自己肯定感につながりません。時間がたつほど、これまで成し遂げたことに関係なく、いつも「まだ足りない」とばかり感じます。同じように自分を責めていても、最近の成果だけで自分の価値を判断して自己肯定感が大きく上下する場合とは違うのです。道徳的にそうしてはいけなかったという罪悪感とも別のものです。この人は、成し遂げるより速く基準を上げるので、いつまでも基準を越えられません。
どんな場面で現れるのか
ほめられても、そのまま受け取ることがありません。誰かが「今回の、良かったですよ」と言うと、ありがとうと言いながらも内心では「まだここが足りないのに」と、そのほめ言葉より低く自分を評価します。相手が見たものより、自分の立てた基準がいつも高いからです。自分の書いた文章や録音された自分の声、写った写真を見直すときも同じです。そばから見れば問題ないのに、本人はずれているところばかり選んでしつこく指摘します。一度失敗した日には、さらにひどくなります。「この結果が足りなかった」で止まれず、「やっぱり自分はこの程度の人間だ」と、能力が足りなかったことについて自分全体を評価し直します。この人がこうするのは、どれも、ほかの人がつけた点数のせいではなく、自分の立てた高い基準に結果が届かないからです。
いつ強まり、いつ収まるのか
結果がほかの人に見られて比べられる状況で、基準を大きく上げます。ほかの人のものと比べられたり、自分で「これはうまくやらなければ」と決めた仕事ほど、すぐに足りないと思います。逆に、まだ完成ではないと決めてある仕事では、そうなりません。練習と名づけたり、基準を越えたかどうかを問わないことにした仕事では、足りないものもないので、自分を責めません。
よくある誤解は何か
周りの人はこの人を、謙遜しすぎだとか、気を引こうとして自分を下げていると誤解します。ほめ言葉をいつも小さくするので、わざと駆け引きをしていると見ることもあります。実際は下げているのではなく、自分の立てた基準が高すぎて、その基準に届かないものが全部足りなく見えるだけです。相手のほめ言葉を信じていないのではなく、相手が見たものと自分の基準の差が大きいので、ほめられても自分の評価を変えられないのです。
何から変えればいいのか
役に立つのは、評価を目に見える形で二つに分けることです。何かを終えたとき、「この成果物の点数」と「自分という人間の点数」を別々に書きます。基準に届かなかったときは、その点数を成果物の点数としてだけ残し、人間の点数には置き換えません。点数を二つに分ける方法が効くのは、問題の核心が、成果物の点数を人間の点数に置き換えるその一回にあるからです。成果物の点数を自分の点数に置き換えさえしなければ、高い基準はそのままでも、自分を責めなくなります。ただし同じ方法を「正しかったかを問い続ける」タイプに勧めても合いません。その人は能力が足りなくて自分を責めるのではなく、「そうしてはいけなかった」という道徳的な欠点で自分を責める人です。もともと成果を責めていたわけではないので、成果をどれだけ切り離しても、自分を責めることは減りません。
この説明が合わない場合とは
結果が足りなかったときに「自分が足りない」と受け取るのではない人もいます。その日の気分やほかの人の反応によって自己肯定感が大きく上下するなら、「高い基準で自分を追い詰める」タイプではありません。成果や評価によってそのたびに自分の価値を判断する「結果で自分の価値を決める」タイプを先に見るほうが合っています。
根拠: 自己批判的完璧主義の研究 (失敗をひどく心配して自分を追い立てる特性を扱った研究)
TYPE 2 · 結果で自分の価値を決める
自己批判 2つ目のタイプ · 「自分の価値を信じる根拠がない」
このタイプの自己批判はなぜ生まれるのか
この人には、成果と関係なく自分の価値を信じさせてくれる根拠が、ほかにありません。最近出した成果とたった今受けた評価だけで自分の価値を判断するので、結果と自分自身をほとんど区別していません。そのため、うまくいった日といかなかった日の差が大きいのです。物事がうまく運んだ日は大きく浮かれ、うまくいかなかった日は自分には何の価値もないと感じます。ほかの人がつける評価をそのままその日の自分の値打ちと考えるので、一日のうちでも自己肯定感が何度も上がったり下がったりします。朝に良いことを言われると気分が上向き、午後に一言指摘されるとすぐに落ち込む、というようにです。問題は、こうして上下を繰り返すほど、自分を安定して感じられるようにならないことです。自分の価値を信じる根拠がないので、いつも次の成果、次の評価を求めて、ほかの人の評価にすがるようになります。同じように自分を責めているように見えても、高い基準を越えられずに足りないと感じるのとは違い、道徳的に間違ったという罪悪感とも違います。この人は一つの成果で自分全体を判断するので、結果がなければ、自分の価値を信じる根拠がまったくなくなってしまいます。
どんな場面で現れるのか
成果を出したとき、自己肯定感は少し上がりますが、そのときだけで、すぐに元に戻ります。賞をもらった日の夜にはもう「それで、今の自分は何なんだろう」と思えてきて、次の成果を出すまでまたむなしくなるのです。逆に、小さな失敗一つでも、その日は自分には何の価値もないと感じます。ささいな指摘一つで自分という人間全体が駄目だと思ったかと思えば、誰かが良く言ってくれると、何事もなかったかのようにまた大きく浮かれます。自分が載せた写真や文章も同じです。反応が良ければその投稿が急にまともに見え、誰も反応しなければ、同じ投稿がひどいものに見えます。この人は毎回、ほかの人の反応をそのままその日の自分の価値として受け取ります。
いつ強まり、いつ収まるのか
評価をその場ですぐに受け、ほかの人とすぐに比べられる状況で、自分をとくに大きく持ち上げたり下げたりします。反応の数が目に見えたり、うまくやった人がすぐそばにいたりするほど、そうなります。逆に、成果に関係なくただ一緒にいてくれる関係の中では、そうなりません。うまくやってもやれなくても扱いの変わらない間柄では評価されることがないので、しばらく自分を持ち上げたり下げたりしなくなります。
よくある誤解は何か
周りの人はこの人を、気分の浮き沈みが激しいとか、注目されたがりすぎる人だと誤解します。ほめられると大喜びし、指摘されると大きく落ち込むので、大げさだと見ることもあります。実際は気分屋だからではなく、自分の価値を信じる根拠をほかの人からしか得ていないので、ほかの人の反応をそのまま自分の価値として受け取るからです。注目されたいのではなく、注目されないと、自分の価値を信じる根拠が本当になくなってしまうのです。
何から変えればいいのか
役に立つのは、成果に関係なくいつもあるものを前もって書いておくことです。長く続いてきた関係、変わらない好み、自分で守ってきた姿勢など、結果がなくてもなくならないものを一覧にしておきます。自分には何の価値もないと感じたときに、その一覧を取り出して見るのです。成果と関係のない一覧が役に立つのは、問題の核心が、自分の価値を信じる根拠がないことにあるからです。ほかの人の反応からしか得ていなかった根拠のほかに、成果と関係のない根拠を一つ作っておけば、反応がなくても、自分には何の価値もないとまでは感じなくなります。ただし、同じ一覧を「高い基準で自分を追い詰める」タイプに勧めても効果は弱いでしょう。その人は自分の価値を信じる根拠がなくて自己肯定感が上下するのではなく、自分で立てた基準が高すぎて越えられない人です。一覧をどれだけ増やしても高い基準そのものは下がらず、やはり足りないと感じます。
この説明が合わない場合とは
反応が良くても悪くても、自己肯定感は大きく上下しない人もいます。どれだけうまくやっても前もって立てた高い基準に届かず、いつも足りないと感じるなら、「結果で自分の価値を決める」タイプではありません。そういう様子が見えるなら「高い基準で自分を追い詰める」タイプに当てはまる話なので、「高い基準で自分を追い詰める」タイプを先に確かめてみることを勧めます。
根拠: 随伴的自己価値の研究 (特定の条件を満たしたときだけ自分の価値を感じ、自己肯定感が上下しやすい心理を扱った研究)
TYPE 3 · 正しかったかを問い続ける
自己批判 3つ目のタイプ · 「心の中の厳しい判定」
このタイプの自己批判はなぜ生まれるのか
この人は、心の中で善し悪しを厳しく見分けます。何かが足りなかったとき、「能力が足りなかった」とは見ずに「そうしてはいけないことだった」と決めつけます。足りなかったことを腕の問題ではなく、善し悪しの問題と考えるのです。そのため成果ではなく、自分の人柄を責めます。「もっとましな人間であるべきだったのに、そうなれなかった」と自分を責め、結果を直しても、自分を責めるのをやめられません。腕は次に上げればいいのですが、道徳的な決めつけはもうしてしまったことへの結論なので、あとでもっとうまくやっても、罪悪感をなかなか振り払えません。時間がたつほど、小さな失敗一つを「自分はもともとそういう人間だ」という人柄の証拠だと考えるようになります。同じように自分を責めているように見えても、高い基準を越えられずに足りないと感じるのとは違い、成果によって自己肯定感が上下するのとも違います。この人は、道徳的に完全になれない自分を、際限なく責め続けます。
どんな場面で現れるのか
物事がうまくいかなかった日は、「この仕事ができなかった」で止まれず、「こんなこともできないなんて、自分はそうであってはいけない人間だ」とまで考えます。失敗を能力不足ではなく、人柄の欠点として受け取ります。ごく小さな失敗一つも、そのまま見過ごせません。ささいな食い違いについて「ああするべきではなかった」と自分を責め、その失敗を「やっぱり自分はもともとこういう人間だ」という証拠にします。誰かにほめられても、素直に受け取れません。良いことを言われると、ありがたいというより「この程度でこんなことを言われる資格はない」と感じて、ほめられてかえって後ろめたくなります。この人がこうするのは、どれも、足りなかったことを腕ではなく善し悪しの問題と考えるからです。
いつ強まり、いつ収まるのか
自分の行動について善し悪しを問える状況で、いちばん早く自分を責めます。ほかの人に迷惑をかけたり、守るべきだと信じている基準を破ったと感じたりするほど、すぐに決めつけます。逆に、良し悪しを問うことではないとはっきりしている場合は、そうなりません。誰が見てもどうしようもなかった状況や、道徳が関わらないことでは、責める理由がないので、自分を責めません。
よくある誤解は何か
周りの人はこの人を、神経質すぎるとか、ささいなことに罪悪感を持ちすぎる人だと誤解します。大したことでもないのに一人で深刻になっていると見ることもあります。実際はとりわけ繊細だからではなく、この人が心の中で自分を採点するとき、足りなかったことを能力の問題ではなく道徳の問題として決めつけているからです。自責が大きいのではなく、成果ではなく自分の人柄を責めているので、結果を直しても自分を責めるのをなかなかやめられないのです。
何から変えればいいのか
役に立つのは、一人で結論を出してしまわないように、反対側の理由を挙げてみることです。「そうしてはいけなかった」と自分を責めそうになったら、その言葉に一度言い返してみます。あのときの事情はどうだったか、違う見方の余地はないか、反対の根拠を無理にでも書いて、一方的に結論を確定させないようにします。反対の理由一行が必要なのは、問題の核心が一方的に決めつけることにあるからです。反対の理由を一行でも書けば、すぐに結論を出さなくなります。ただし同じ方法を「結果で自分の価値を決める」タイプに勧めても合いません。その人は道徳的に決めつけて落ち込むのではなく、成果や評価によって自己肯定感が上下する人です。言い返すべき結論そのものがないので、反対の理由を書いても使い道がありません。
この説明が合わない場合とは
足りなかったときに覚えるのが、「そうしてはいけなかった」という道徳的な罪悪感ではない場合があります。成果があれば大きく浮かれ、なければ自分には何の価値もないと感じるなら、「正しかったかを問い続ける」タイプではありません。善し悪しを問う前に成果によって自己肯定感が上下しているのですから、そういうときは「結果で自分の価値を決める」タイプを見るほうが合っています。
根拠: 特性的な恥と道徳的完璧主義の研究 (自分を道徳的に厳しく評価しすぎて恥じる気持ちを扱った研究)
自己批判についてよくある質問
Q. 自分を強く責めてしまうのは、自己肯定感が低いからですか?
一部だけ当たっています。基準がどんどん厳しくなる「高い基準で自分を追い詰める」タイプは自己肯定感より基準が問題です。「正しかったかを問い続ける」タイプは価値観の厳しさが問題です。そのため、どちらにも自己肯定感を高める方法は合いません。結果と自分の価値を一つのものと考える「結果で自分の価値を決める」タイプだけが、自己肯定感が核心です。「自己肯定感を高めよう」という言葉が空しく感じられたなら、タイプに合わない方法だった可能性をまず考えてください。
Q. 自分を責めるからこそ成長できるのではないですか?
分けて考える必要があります。行動を批判すること(「この部分をこう直そう」)は成長の役に立ちます。問題は、存在そのものを批判すること(「自分はなぜこうなんだ」)です。自分の存在を責める人は、成長するより仕事を避けたり先延ばしにしたりするようになることが、多くの研究で繰り返し確かめられています。叱られて良くなるのではなく、叱られるのが怖くて始められなくなるからです。
Q. 「自分に優しくして」という言葉が、かえって落ち着きません。なぜでしょう?
そうして厳しくすることで、長いあいだ自分を守ってきたからです。先に自分を責めておけばほかの人に指摘されず、前もって自分を追い立てておけば失敗しないと信じてきたのです。そのため優しくしろという言葉を、自分を守ってきた方法をやめろという言葉として聞いて、反発してしまいます。効く取り組みは、自分を責めることをなくすのではなく、その役割を変えることです。自分を責めそうになったら「指摘ではなく、次の行動を一つだけ言って」と自分に求めます。責めることをなくすのではなく、自分にかける言葉を変えるのです。
Q. 失敗した日の夜、自分を責めるのが止まらないとき、すぐに何をすればいいですか?
効果がいちばん多く確かめられている方法は、「同じ状況の友人に何と言ってあげるか」を実際の文で書くことです。口で言うのではなく、書くのです。自分に向き合うときとほかの人に向き合うときとでは考え方が違うので、友人にかける言葉を書くと、ほかの人に向き合うときのように考えられるようになります。書いた文を声に出して読むと、効果はさらに大きくなります。子どもっぽく感じても、自分を責め続けるよりは確実にましです。
この説明をどう受け取ればよいか
この文書は自己理解を助けるための行動パターンの説明であり、医療・心理の診断や相談に代わるものではありません。日常生活が揺らぐほどの困難が続く場合は、専門家の助けを受けることをお勧めします。
このページのタイプ説明は一般的な構造です。
測定を終えると、自分の気質の組み合わせで実際に表れたパターンと強度、自分に合う一歩が、個人向けの文書として提供されます。
この反復がよく見られる原型
測定で見る軸が重なる項目です。人が選んだのではなく、測定ルールから計算しています。