RECURRING LOOP · 仕事・達成
自己アピールの難しさ
自分がやったことを話すべきときに、「まあ、みんなでやったことですから」で済ませたことはありませんか? 自己アピールができないのは、謙虚だからというだけではありません。言えない理由は人によって違います。
自己アピールの難しさはなぜ繰り返されるのか
自分の貢献を言えない理由は三つあります。一つ目は、謙遜が身についている人です。自分の話をすると自慢していることになると考えるので、手柄を話す番が来ると、自然と控えめに言ってしまいます。二つ目は、大勢の人に見られること自体が負担な人です。うまくいったことを話す瞬間にみんなが自分を見るのが居心地悪くて、そうした場面を避けてしまいます。三つ目は、分かってもらえると信じている人です。良い仕事はいつか正当に評価されると信じて、何も言わずに待ちます。けれど組織の中では、自分がしたことをほかの人が自然に知ってくれることはありません。
自己アピールは自慢の技術ではなく、情報を伝える技術です。自分が何をしたかはほかの人には分からない情報で、その情報が伝わらなければ、評価は伝わった情報だけで決まります。この文書は、誇張せず、性格を変えずに、自分の貢献を正確に伝える方法をタイプ別に扱います。
自己アピールの難しさにも種類があるのか
| タイプ | ひと言の場面 |
|---|
| 謙遜しすぎる | “自分の貢献を控えめに言う人” |
| 人前に出るのが居心地悪い | “視線が負担な人” |
| いつか分かってもらえると信じる | “認められるのを待つ人” |
TYPE 1 · 謙遜しすぎる
自己アピールの難しさ 1つ目のタイプ · 「自分の貢献を控えめに言う人」
このタイプの自己アピールの難しさはなぜ生まれるのか
成果を伝えられないのではありません。自分がしたことを話そうとするまさにその瞬間、「こんなことを言ったら嫌味な人になる」という心配が先に立ちます。そのため、自然と控えめに言ってしまいます。「運が良かったです」「チームのみんながやりました」といった言葉を、事実より先に口にしてしまうのです。謙虚さは美徳だという考えがとても強いので、正当な貢献を話すことまで「自慢」だと考えて、自分から言わずにおきます。問題は、こうして控えめに言うことを繰り返すと、それが習慣になることです。周りの人は、この人が控えめに言った自己評価をそのまま事実として受け取り、その分、実際の貢献を低く評価します。同じ問題を抱えるほかの二つのタイプとはここが違います。注目されるのがつらいのでも、伝える必要がないと信じているのでもありません。「これは私がやりました」という一言を傲慢だと感じる、心の中の基準のせいで言えないのです。能力が足りないのではなく、自分の手柄を主張すること自体に罪悪感を覚えるのです。
どんな場面で現れるのか
年末の自己申告書を前にすると、まず手が止まります。「私が主導しました」と書こうとして、結局「チームとともに進めました」に書き直します。一人で徹夜して防いだトラブルも、「運よく大きな問題はありませんでした」と控えめにして提出するのです。会議で出したアイデアを隣の席の同僚が自分の案のように言い直しても、「どうせチームの成果だから」と訂正せずにやり過ごします。面接や年収交渉でも同じです。相手に成果を聞かれると、数字を大きく言うどころか「それくらいは誰でもできたと思います」と、自分から成果を低く言ってしまいます。話し終えると謙虚にふるまえたと一瞬ほっとしますが、数日後に受け取った評価表には、控えめに言ったその内容がそのまま事実として書かれています。
いつ強まり、いつ収まるのか
聞く人が多い場面や公式の記録に残る場面ほど、ぐっと自分を低く言います。特に「私がやった」と「私たちがやった」のどちらかを選ばなければならない瞬間には、自然と「私たちがやった」を選びます。逆に、ほかの人の手柄を代わりに話してあげる場面では、不思議と言葉に詰まりません。同僚の貢献ははきはきと伝えられますし、事実だけを淡々と書けばいい書式でも、あまり心配しません。自分を評価する言葉を言わなくていいときは、ずっと楽に話せます。
よくある誤解は何か
周りの人はこうした人を見て、野心がないとか、自分の仕事に自信がないと決めつけがちです。昇進に関心がない人、任されても前に出ない人だと思われてしまいます。実際には自信がないのではなく、その自信を声に出して言うことが失礼に感じられて、こらえているのです。認められたい気持ちがないのではなく、認めてほしいと求める言葉を、自分に禁じているのです。謙虚な人という評判は得られますが、その評判のせいで貢献を低く評価される損には、誰も目を向けてくれません。
何から変えればいいのか
方法は、「自慢」と「事実」を分けることです。感情の混じった評価の言葉を使わず、「何を、いつ、どのようにして、どんな数字が出たか」という事実の文だけで記録し報告するという決まりを作ります。「謙遜しすぎる」タイプは、「自分はすごい」と評価するときには心配になります。けれど「3月にこの作業を担当し、ミスを40パーセント減らした」と事実を淡々と書くときには、心配しません。心の中の基準を無理に破るのではなく、その基準に引っかからない形で話すのです。初めは事実の文でさえ照れくさいでしょうが、自慢ではなく記録だと考えれば罪悪感を覚えずに書けるようになります。注意したいのは、同じ決まりが「人前に出るのが居心地悪い」タイプには役に立たないことです。注目されること自体に耐えられない人は、事実の文で話すようにしても、形が変わるだけです。大勢の前に立つ瞬間の苦しさは変わらないので、発表の直前にまた緊張して話せなくなります。
この説明が合わない場合とは
「私がやった」と言うこと自体には、何のためらいもない人がいます。それでも人の視線が自分に集まるその数秒に耐えられずに発表を避けるなら、本当の原因は心の中の基準ではなく、人前に出ることの居心地の悪さです。その場合は、「謙遜しすぎる」タイプではなく「人前に出るのが居心地悪い」タイプを見るのが正しいでしょう。逆に、控えめに言うことも避けることもなく、「黙っていても実力は自然に知られる」とアピールそのものを不要だと考える人もいます。それなら「いつか分かってもらえると信じる」タイプに近いでしょう。
根拠: 謙遜の特性の研究 (自分を低く見せ、目立たないようにする自己表現の習慣を扱った研究)
TYPE 2 · 人前に出るのが居心地悪い
自己アピールの難しさ 2つ目のタイプ · 「視線が負担な人」
このタイプの自己アピールの難しさはなぜ生まれるのか
この人にとってアピールは、正しいか間違っているかの問題ではありません。話している間、人に見られていることそのものに耐えるのがつらいのです。発表を始めようとする瞬間、内容が正しいかどうかを判断する前に、まず心臓がどきどきし、喉が締めつけられます。「この成果は伝える価値がある」と判断していても、人前に立つのを避けてしまうのです。そのため、注目され始めるその数秒の間に、しようとしていたことを全部やめてしまいます。手を挙げかけて下ろし、提出ボタンを押す直前に画面を閉じます。時間がたつと「目立たないところがいちばん楽だ」と考えるようになり、自分から後ろに下がることに慣れていくのです。下がった分だけ、ほかの人はこの人がしたことを知らないままになります。同じ問題を抱えるほかの二つのタイプとの違いははっきりしています。手柄を話すのを傲慢だと感じてこらえているのでも、伝える必要がないと判断してしないのでもありません。すでに「伝えるべきだ」と判断しているのに、人前に出る瞬間に体が先に緊張して、できないのです。意志の問題ではなく、反応の問題です。
どんな場面で現れるのか
チームの成果発表で自分の貢献を直接話す番が近づくと、頭が真っ白になって、準備した内容を思い出せなくなります。結局「私の担当部分は資料に書いておきましたので、ご参照ください」の一言で済ませて席に着き、発表は上司に代わりに要約してもらいます。LinkedInやポートフォリオを更新しようと画面を開いても、公開プロフィールに顔と名前が載ると考えたところでやめてしまいます。下書きは何週間も、保存フォルダに入ったままです。年末の自己申告書は文章まで全部書き終えているのに、提出ボタンの前で長い間迷います。これを送ったら人に自分をのぞき込まれ始める気がして、締め切り直前になってようやく思い切って押します。書けなかったのではなく、見られる瞬間が怖くて先延ばしにしていたのです。
いつ強まり、いつ収まるのか
その場で大勢の人に一斉に見られるとき、いちばん強く緊張します。その場で指名されて話さなければならないときや、画面に顔が大きく映るときは、内容とは関係なくまず体がこわばるのです。逆に、誰も見ていない時間に一人で文書を整えることは、楽にこなせます。整理してから伝えられる方法や、視線がその場で集まらないやり方なら、同じ成果も無理なく伝えられます。その場ですぐに人前に出るかどうかで変わるのです。
よくある誤解は何か
周りの人はこうした様子を見て、準備が足りなかったとか、自分の仕事に熱意がないと考えます。発表を避けるので、実力がないからだと誤解されることもあります。けれど資料を開いてみると、内容は誰よりも丁寧なことが多いのです。足りないのは準備ではなく、準備した内容を大勢の前で声に出して話す瞬間に耐える余裕です。消極的に見えても、前に出なかっただけで、言うべきことはもうすべて準備してある人です。外からは口数が少なく見えても、心の中では内容を全部準備しているということに、周りの人はなかなか気づきません。
何から変えればいいのか
方向は、大勢の前に立つ場面をなくすことです。その場で口頭発表をする代わりに、文書や記録、あとから行う報告のように、視線が一度に集まらない方法で成果を伝えると新しく決めます。人前に出る度合いを前もって下げておけば、避けたくなる前に情報を先に伝えられます。会議でその場で話す代わりに、前日にまとめた要約を決定権を持つ人に文書で送っておく、といったやり方です。この人が拒んでいるのは「今ここで大勢の前で」という条件であって、成果を伝えること自体ではないので、条件さえ変えれば成果を伝えられます。このように伝え方を変える方法は、「謙遜しすぎる」タイプには通じません。手柄を話すことを傲慢だと考える人は、伝え方を文書に変えても、その文書の中にまた「チームのおかげ」と書いてしまいます。自分で手柄を消してしまうので、伝え方を変えた効果がありません。
この説明が合わない場合とは
ある人が大勢の前に立つこと自体は平気なのに、「私がやった」という言葉だけは失礼に感じて口をつぐむなら、原因は体の居心地の悪さではなく、心の中の基準です。そういうときは「謙遜しすぎる」タイプを見るべきです。人前に出るのが居心地悪いからでも、罪悪感からでもない場合があります。「わざわざ伝えなくても良い成果は自然に認められる」という思いから何もしないのなら、「いつか分かってもらえると信じる」タイプを見てください。
根拠: 社交不安の研究 (人前で自分に視線が集まるときに強く緊張する心理を扱った研究)
TYPE 3 · いつか分かってもらえると信じる
自己アピールの難しさ 3つ目のタイプ · 「認められるのを待つ人」
このタイプの自己アピールの難しさはなぜ生まれるのか
この人はアピールをしないのではなく、する必要がないと信じています。仕事さえきちんとしておけば組織が自然に気づいてくれるはずで、自分の口で成果を言い立てるのは実力のない人がする根回しだと考えています。そのため、成果を決定権を持つ人に直接伝えず、ほかの人が自然に認めてくれるのを待ちます。問題は、組織は目に見えない成果をひとりでに数えてはくれないことです。黙ってきちんとやっておいた仕事は、誰にも知られないままになります。時間がたつほど「これだけやったのにどうして分かってくれないんだ」と悔しさが増しますが、それが自分が言わなかったせいだということには最後まで気づきません。原因をいつもほかの人や状況に求めます。世の中が不公平だとか、上の人に人を見る目がないと考えるのです。同じ問題を抱えるほかの二つのタイプとはここが違います。手柄を話すのが傲慢だからこらえているのでも、注目に耐えられないのでもありません。アピールを「すべきかどうか」考えるたびに、「その必要はない」と判断を終えてしまうのです。能力がないからではなく、世の中をそう信じているから、アピールをしないのです。
どんな場面で現れるのか
似た成果を出した同僚が昇進者のリストに載り、自分の名前がなくても、初めは「いつか順番が来るだろう」と淡々とやり過ごします。LinkedInを整えたりポートフォリオを直したりするように言われると、「成果物が良ければ、みんな自然に気づいてくれる」と画面を閉じます。そんなことに時間を使うのは中身のない人のすることだと思っています。会議で出したアイデアを同僚が自分の案のように持っていっても、あえて訂正しません。「結局、誰が出したかは時間がたてば分かる」と信じているからです。そうして何四半期かが過ぎて人事評価の結果を受け取ると、黙ってやっておいた仕事はどこにも集計されていません。そこでようやく悔しがりますが、いつも分かってくれなかった組織を責めるばかりで、言わなかった自分を責めることはありません。
いつ強まり、いつ収まるのか
これまで努力した分だけ報われた経験が多いほど、この思いを固く持ち続けます。決まりがおおむね守られる環境では「待っていれば報われる」が実際に当たるので、ますます固く信じるのです。逆に、黙って働いた人が毎回評価されず、声の大きい人が先に進む場面を何度も目にすると、「自然に知られる」という前提を初めて疑います。自分が言わなかったせいで低く扱われていることを目の前で確かめた瞬間、ようやく少しだけ違う考え方をします。
よくある誤解は何か
外から見ると、この人は欲がなく、あっさりした実力のある人として通っています。根回しをせず黙々と働く人だと良く言われることもあります。けれど、この人があっさりしているのは、「世の中は努力した分だけ返してくれる」とかなり強く信じているからです。超然としているから前に出ないのではなく、前に出る必要はないともう判断しているから出ないのです。そのため、いざ報われなかったときに受ける衝撃がほかの人より大きくなります。無関心に見えても、心の中では正当な見返りを誰よりもはっきり期待していた人なので、その期待が外れたときには、その分だけ強く悔しがります。
何から変えればいいのか
変えるべきは行動より、アピールの定義です。アピールを「根回し」ではなく、「成果を決定権を持つ人に伝える最後の段階」と捉え直すのです。こう考えると、どれだけ仕事をうまくやっても、伝える段階を飛ばせば、その仕事は終わっていないことになります。「ほかの人が自然にしてくれる評価」を当てにせず、「自分で用意しておいた伝え方」を当てにすると決めます。すると、成果の報告を自慢ではなく仕上げの作業だと考えるようになり、実際に行うようになるのです。根回しだと拒んでいたことを「仕事の最後の仕上げ」だと考えるようになるからです。ただ、このようにアピールを捉え直す方法は、「謙遜しすぎる」タイプにはかえって妨げになります。手柄を主張すること自体を傲慢だと感じる人は、伝えることは仕事だとどれだけ決めてあげても、その行為に罪悪感を覚えて、最後の段階を前にしてやめてしまいます。
この説明が合わない場合とは
「待っていれば報われる」と信じるどころか、伝えなければならないことはもう分かっている人もいます。いざ言おうとすると自慢のように感じて口に出せないなら、原因は世の中への思い込みではなく心の中の基準です。そういうときに見るべきは「謙遜しすぎる」タイプです。判断や思い込みとは関係なく、人前に出る瞬間にまず緊張して避けてしまうなら、その人は「人前に出るのが居心地悪い」タイプのほうに近いでしょう。
根拠: 公正世界信念の研究 (努力すれば世の中が正当に認めてくれると信じる世界観を扱った心理学の研究)
自己アピールの難しさについてよくある質問
Q. 仕事をきちんとしていれば、いつか分かってもらえるのではないですか?
それは一部しか当たっていません。そして、その「いつか」を待つ代償は大きいのです。評価する人は人の心を読む人ではなく、伝えられた情報で判断する人です。組織が大きくなるほど、成果を出してもその成果をほかの人が知るのは難しくなります。分かってもらえるのを待つのは道徳的には美しいことですが、実際には、自分が言わなかった部分について、ほかの人の話が代わりに伝わるのに任せることになります。そうなると、評価する人はたいてい、話す人たちの説明を聞いて判断することになります。
Q. 自慢しているようで、口に出せません。
自慢と報告は、形容詞を使うか事実を使うかで分けられます。「私は本当によくやりました」は自慢ですが、「この作業は私が設計し、結果はこうでした」は事実の報告です。「謙遜しすぎる」タイプには、事実(何をしたか)、数字(結果がどうだったか)、チームの貢献を認めること(この部分は一緒にやった)をあわせて話す方法を勧めます。形容詞を使わずに事実だけを話しても情報は十分に伝わりますし、それは自慢ではなく仕事です。
Q. 注目される場面がとても苦手です。避けてはいけませんか?
その場ですぐに注目されるのがつらい人は、時間をおいて伝える方法を使えます。発表する代わりによく書いた文書で、会議で話す代わりに整理したメールで、人前に出る代わりに記録で伝えるのです。大事なのは注目のされ方を選ぶことで、ほかの人に伝えること自体をあきらめることではありません。ただ、大勢の前で直接話す時間(成果を共有する数分)は、短くても設けて、少しずつ増やしていくのがいいでしょう。直接話すことがまったくないと、記録さえもほかの人が代わりに伝えることになるからです。
Q. 謙虚さは美徳だと教わりましたが、捨てるべきなのでしょうか?
捨てる必要はありません。謙虚さを正確に使えばいいのです。謙虚さの本来の意味は、自分を低く見せることではなく、自分を正確に知ることです。自分がしたことをしていないと言うのは、謙虚なのではなく不正確なのです。自分の貢献も事実のとおりに、ほかの人の貢献も事実のとおりに話すのが成熟した謙虚さで、皮肉なことに、そう話す人こそ「謙虚で仕事ができる人」として記憶されます。
この説明をどう受け取ればよいか
この文書は自己理解を助けるための行動パターンの説明であり、医療・心理の診断や相談に代わるものではありません。日常生活が揺らぐほどの困難が続く場合は、専門家の助けを受けることをお勧めします。
このページのタイプ説明は一般的な構造です。
測定を終えると、自分の気質の組み合わせで実際に表れたパターンと強度、自分に合う一歩が、個人向けの文書として提供されます。